応募したエッセイ

先日、ある超有名作家が、エッセイを募集していたので応募しました。かなりの数の応募があり、私の作品は、見事にスルーされましたが、よっぽどお暇でしたら、暇つぶしにでも読んでみてください(笑)。1500字以内という条件だったため、かなり短いです。偉そうな事を申しますが、無断転載はご遠慮くださいませ。



『神様に逢いに』 marie(マリエ)

私は、旅行や外食が苦手である。もはや、恐怖と言っても過言ではない。知らない場所や人、慣れない食事、予測のつかない出来事、それらは私にとって、単なる不安要素でしかないのだ。
    この私が、五年ほど前の夏に、旅に出た。
    母を亡くした時に不安障害を発症し、十年以上苦しんできた私は、幸せを求め、神にすがろうと、伊勢神宮へと向かったのである。中学生の一人息子を連れて。
    我が家は、母一人、子一人のため、これは言わば、家族旅行であった。とてつもない緊張に包まれながら、列車に乗り、どうにか目的地に到着した。私は息子と共に、必死の思いで伊勢神宮の広い境内を回り、訳もわからず参拝した。何という神様に、何をお願いしたかなど、全く覚えていない。
    一通りの参拝が終わり、私と息子は、タクシーで、少し離れた水族館へと向かった。その頃には、少し肩の力が抜け、色とりどりの、かわいらしい魚を楽しく見て回ることができた。やがて、水族館は閉館時間となり、魚たちと別れがたい気持ちで、その場を後にした。
    気がつけば、夕方になっていた。息子と何か食べようと、小さなショッピングモールまで歩いて行った。途中、海からの強い追い風に吹かれながら、はるか遠くまで見渡せる、大きな橋を渡った。私の全てを洗い流し、私の全てを受け入れてくれるような、そんな風だった。
    気がつけば、ショッピングモールに辿り着いていた。一歩中へ入ると、そこは「昭和」だった。私がまだ小さかった頃の風景が広がっていた。ショッピングモールと言うより、もはや小さな商店街である。肉屋、魚屋、食料品店、そして、たこ焼き屋、喫茶店、レストラン。懐かしさと共に、タイムスリップをしたかのような錯覚に陥った。
    私と息子は、ファミリーレストランと名付けられた、しかし、どう見ても喫茶店にしか見えない、その店に入った。
    メニューを見ると、さすがファミリーレストランだけあって、何でもある。決して、馬鹿にしているのではない。私は、子供に戻ったかのように、嬉しくなった。メニューは豊富なものの、何を注文するかは一瞬で決まった。
    ドライカレーだ。美味しさと、得も言われぬ懐かしさを兼ね備えた、ドライカレーが私の大好物なのである。息子はカレーライスを頼んだ。彼もなかなかセンスが良い。
    食事を待っている間、厨房の音に耳をそばだてながら、わくわくしていた。夫婦で経営しているらしく、おじさんが料理を作っていた。そしてついに、おばさんが完成品を私の前まで運んでくれた。   
    出来立てのドライカレーは、優しい黄色の中にレーズンが入っており、昔懐かしい香りが漂い、完璧な出来映えである。実際、何をもって完璧と呼ぶのかはわからないが、私にとっては、幸せそのものであった。幸せをむさぼるように夢中で食べると、心の底から、じんわり温かくなった。もはや緊張も不安も、どこにも存在していなかった。食べながら、息子と旅が出来た喜びを噛みしめ、改めて息子を愛おしく感じた。愛情という名のスパイスは、ドライカレーを一段と美味しくさせた。そして、ふと前を見ると、そこには、カレーライスを頬張る、少年の姿をした神様がいた。
    伊勢神宮の神様に願わずとも、神様は私の一番近くにいた。そして、求めずとも、幸せは既に私の中に存在していたことに気づかされた、そんな旅であった。



私の稚拙な文章をお読みくださった方、本当にありがとうございました。

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