自分を知る

皆さん、それぞれに、生きる目的や理由がおありかと思います。生きる目的も理由もなく、ただ生きている、それも充分アリです。

私は最近、「自分とは何ぞや」、言わば、「己を知る」ということが、生きるテーマの一つとなっています。

他人のことを、観察し、評価することは簡単ですが、自分を自分で見る、これは案外難しいことです。

他人は、自分の鏡だと思っています。家族を含めた、他人との人間関係において、自分をよく知ることができますし、生きていく上での様々なトラブルや、それこそ強迫性障害でさえ、自分をよく知るきっかけになると思います。自分を知ると、自分をコントロールしやすくなり、生きやすくなります。

私は、強迫性障害だからこそ、自分を知るチャンスを与えられ、自分について嫌というほど考えさせられ、魂の糧になったことが、たくさんあります。

私たちは、強迫性障害者である前に、一人の人間です。一人の人間として生きていく中で、誰しも、様々な困難にぶつかります。そして、私たちに与えられた困難は、強迫性障害だった、という訳です。他人は悩みがないように思えるのでしたら、それは単に、隣の芝生が青く見えているだけです。

困難など要らない、と思うお気持ちはよくわかりますし、何も強迫性障害でなくても、というお気持ちも、痛いほどわかります。ただ、ピンチはチャンスという、ありきたりな言葉は、案外、的を得ていて、強迫を完治させずとも、もがいた先には、今より、強く優しくなった、ご自分がいるはずです。

今この瞬間が辛く、そこまで俯瞰できない方もたくさんいらっしゃるのは、よくわかった上で、申しております。日々の強迫行為に対処しながらも、一人の人間として幸せに生きる覚悟を持たれると、より改善が早くなります。

これは、強迫との闘いではなく、ご自分との闘いなのです。強迫を観察するのではなく、ご自分の心の声をよく聞いてあげてください。皆さまご存じのとおり、強迫の脳の指令は本来のご自分ではありません。ご自分の心のほうの声を聞く、イコール、ご自分を知るということにつながってくるのです。

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