数字恐怖と数へのこだわり

 

皆さま、お久しぶりです。強迫性障害の方も、そうでない方も、「苦手な数字」や「数へのこだわり」ってありませんか?

それらがあるからといって、数字恐怖症だの、強迫性障害だの、慌てる必要はありません。

ネットで検索をすると、「数字へのこだわりが強いあなたは強迫性障害ですからぜひうちの精神科へ」などといった広告が多くみられますが、嫌いな数字を好きになる薬などありませんし、医師の出る幕では全く無いのです。

 

「4」を嫌う日本人は多いですが、日本だけではなく、中国・韓国・シンガポール・マレーシアなどでも嫌われる傾向があります。

ホテルの部屋番号や階数に「4」が無い話は有名ですが、中国では「4」の付く番地の地価が低かったり、オリンピックの開催年に2004年を選ばなかったりなど、国レベルで、「4」を避けているのです。

アメリカでは、「13」を不吉だと信じる人が約2000万人いると言われており、ヨーロッパでは、飛行機の座席番号に「13」が無いことも多く、国によって、不吉な数字は違います。

イタリアでは、「17」が嫌われています。

古代ギリシアの数学者であるピタゴラスも「17」を嫌っていたと言われており、その理由は、4×4の「16」と3×6の「18」の間の数が「17」だから、ということから、凡人には理解できない、数字への強いこだわりを感じます。

アフガニスタンでは、「39」が嫌がられ、日本では「サンキュー」と読まれる数字を好まない国もあるのです。

新約聖書のヨハネの黙示録において「獣の数字」とされる「666」は世界的に忌み嫌われる傾向があります。

数学者によって発見された「最も不吉な素数」と言われる「ベルフェゴール素数」は、「1000000000000066600000000000001」という、「666」が13個の0に囲まれているというもので、ここまで来るとさすがに、日常生活で見かけることは無いでしょう。

ちなみに、「4恐怖症」は「テトラフォビア」、「13恐怖症」は「トリスカイデカフォビア」、「666恐怖症」は「ヘクサコシオイヘクセコンタヘクサフォビア」と呼ばれており、もはや数字よりも、そのネーミングの方が怖くなってきます。

 

ところで、エンジェルナンバーをご存じでしょうか?

エンジェルナンバーとは、天使からのメッセージと言われており、数字、そしてそのゾロ目にそれぞれの意味があります。

例えば「4」は、エネルギーのバランスが取れた状態を表し、「666」は、自信を持って行動すれば好機が訪れることを意味します。

同じ数字でも、その捉え方により、不吉なものから、いとも簡単にラッキーナンバーになるのです。

私は最近、「2」のゾロ目を不思議なほど頻繁に見かけます。時計はもちろん、夜中の2時22分に、書いた文字数が222文字であったり、といったことがよくあります。

以前、朝起きて携帯を見ると、自分から電話を発信した履歴があり、なぜか「333333…」という存在しない番号に電話をかけており、その時間が夜中の3時33分でした。

超強力エンジェルナンバーなのかも知れませんが、何だか怖くなりました。

かの有名なフィギュアスケーターの羽生結弦選手は、昔から11時11分を示す時計に対し手を合わせたり、公式YouTubeチャンネルに初投稿した動画の長さが1分11秒、そして11時11分に入籍発表、また、新アイスショー公演の発表が1日の11時11分などと、「1」へのこだわりが非常に強いのです。

ずっと1位を目指してきたからというだけではなく、エンジェルナンバーを意識しているのでは?とさえ思わせるほどのこだわりようです。

 

世界中の国や人々、スポーツ選手など、全ての人間は、数字への恐怖心や強いこだわりがあって当然なのです。

ただそれを、数字恐怖と呼ぶか、ジンクスと呼ぶか、また、強迫性障害とするか、強いこだわりとするか、という、その捉え方ひとつで変わり得る、ボーダーラインなど存在しない世界であるように思います。

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潔癖引きこもりの仕事探しの旅

 

皆さま、こんにちは。

先日のブログ、「超売れっ子カウンセラーとの出会い」で申し上げましたように、私は「超売れないカウンセラー」なのです。

そのため、副業の仕事を探しているのですが、ここ数ヶ月で1千社以上から不採用通知を頂戴いたしまして、いまだほぼ無職です。

在宅ワークのみに絞って探しているため、コロナ禍を過ぎた現在は、在宅の仕事数が少なく、何のスキルも無い私が職に就くのは、とてもハードルが高いのです。

ならば、外に働きに出れば良いと思われるかも知れませんが、自宅近くには働く場所も無く、また、不潔恐怖か過度の潔癖か、その名称は置いておいて、そういったものを抱える私は、通勤のバスに乗ることができません。

強迫をご存じ無い方からは、きっと、気合いや根性が足りないと叱咤されるでしょうが、どうあがいても乗れないバスには乗れない訳で、努力の問題では無いのです。

言い訳をさせていただきますと、私の自宅アパートは、都内のそこそこ有名な区内の田舎エリアにあり、どこの駅からも均等に離れており、駅に行くには、少なくとも徒歩で約30分はかかります。

1シーズンに1回くらいしか外出をしない、引きこもりの私は、体力も筋力も無く、往復約1時間歩くことは、登山に匹敵するレベルです。

車も車の免許も無く、もしそれらが有ったとしても、月数万円の駐車場代など払えません。

ならば、自転車は?となりますが、子供の頃に、危ないからという理由で、親から自転車を買ってもらえず、そのまま大人になってしまった私が、今さら自転車に乗って、駅までの通行人の多い狭い道を走ったら、きっと人を轢くことでしょう。

大人になってから、自転車を買って練習をしたことはあるのですが、直進はできたものの、曲がることと、ブレーキが苦手で、断念しました。

自転車に乗り慣れている人でさえ走りづらいような、人通りの多い道を、私が…と考えただけで、加害恐怖が無くとも、人を殺める危険を感じます。

そういった理由から、残るはバスとなってしまうのですが、私の住んでいるエリアの人たちは、ほぼバスを使うため、バスが異常に混んでいるのです。

通勤時間帯などは、バスはたくさん来るものの、混んでいて人が入りきらないため、約半数のバスは、バス停に止まらずに通過してしまいます。

バス停に止まってくれたバスには、バス停に並ぶ長蛇の列の先頭の数人が、前ドアと後ろドアから、体を押し込めて乗車するといった状態です。

潔癖の今の私には、それが無理なのです。潔癖では無い時は余裕でしたが。

バスがそのような状態なので、いくら待っても空車のタクシーは来ませんし、タクシーアプリにまであっさり断られてしまいます。

長くなりましたが、それが在宅ワークにこだわる理由なのです。

数年間、オンライン日本語教師はしているのですが、教師の人数が増えた今、私の生徒はほんの数人しかいません。

とは言え、現在まで数百時間、英語で日本語を教えてきましたし、少しは翻訳もできますし、ほぼ毎日、ネイティブの先生から英会話を習っており、大学でも散々英語を学びましたが、何せ英検3級なもので、資格重視の日本では、相手にもされません。

書籍を出版していようが、日常的に執筆活動をしていようが、ライティングの実務経験が無いため、これもまた、いとも簡単にはじかれてしまいます。

しかし、ついに、ある仕事に合格したのです。

その仕事は、営業電話の録音を聞いて、個人情報や会話の要点などを定型フォームに入力するというものです。

実務テストを受けたのですが、録音は5分程度とは言え、録音を聞きながら、会話をタイピングし、それを上手くまとめて入力するとなると、1件当たり、少なくとも15分程度を要してしまいます。

そして1件の賃金が、38円なのです。

1時間に4件できたとすると、時給152円となります。

1,000円を稼ぐには、約6時間半働かねばなりません。

以前、ドバイのお金持ちに、30分50USセントで日本語を教えていた頃を思い出しました。

今回の仕事を断り、その時間を自分の活動や勉強に充てようかと迷いましたが、雇われて働く感覚を身に付け、いくらであろうが収入を得て最初の歯車を回さねばと思い、ありがたく働かせてもらうことに決めました。

仕事をするからには、カウンセリングと変わらず、責任感とプロ意識をもって臨もうと思います。

明日からは、たくさんの資料を読んで仕事の勉強をしなければなりませんが。

そして少額ですが、稼いだ分は募金をしようかな、と思っています。

自虐的&偽善者だと仰る声が聞こえてきそうですが、こんな生き方もアリかなと。

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強迫は根こそぎ改善しよう!

 

皆さま、こんにちは。

このブログを読んでくださっている皆さまは、強迫性障害で悩まれていたり、強迫っぽいなあと感じていたり、きっと、そのような方が多いことでしょう。

私も強迫性障害で約17年間苦しみましたが、強迫で一番辛いのは、止まらない確認や強迫行為、際限の無いぐるぐる思考かと思います。

そして、皆さまの多くは、それらから解放され、楽になりたいというお気持ちで、その方法を模索されていらっしゃっるのではないでしょうか?

しかし、現在の日本では、薬物療法、認知行動療法や曝露療法などが主流のため、根本解決には至らず、強迫の改善に苦心されている方がたくさんいらっしゃいます。

なぜそれらの療法が、根本解決とはならないのかと申しますと、強迫行為や強迫観念を止めることに着目しているからです。

一番苦しく、一番治したい、その強迫行為や強迫観念は、実は、一番末端の枝葉の部分なのです。

 

枝葉という言葉どおり、強迫のしくみを木で例えますと、強迫行為は、木の葉の形が気になり、葉をハサミで切って止まらなくなるような感じです。

また、強迫観念は、木の葉の色や形について、考えを巡らせて止まらなくなるようなイメージです。

そして、葉は無数にあるため、全ての葉を切り揃え、全ての葉について考えねばならず、強迫が止まらなくなってしまいます。

また、せっかく納得がいくまで完成させた葉は、秋には紅葉し、冬には枯れ落ち、また新しい葉が生えてくるため、新たな強迫が生まれてしまいます。

かなり雑な例えになりましたが、何となくでも、イメージを掴んでくだされば充分です。

 

強迫の根本改善に大切なのは、葉だけでは無く、木の全体像に着目することです。

 

木の葉は細い枝から生えており、その細い枝は太い枝から生えており、それを辿ると木の幹があり、地中には張り巡らされた根があり、それを支える土壌があり、土壌には水分や栄養分が含まれ、大気中の二酸化炭素や太陽のエネルギーを取り込んで木は生きています。

あなたが気になって仕方の無い、その葉をつくっている木そのものの、水分や栄養分、エネルギーは足りていますか?

目に見える葉は、目には見えない多くの要素からつくられています。

目の前の不安も然り、なのです。

不安という名の葉を除草剤で枯らしても、葉にハサミを入れる回数を減らす努力に疲弊しても、それらは根本解決にならないどころか、むしろ害になり得ます。

「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、強迫性障害は、葉が気になって仕方が無い疾患というより、「葉を見て木を見ず」というところが問題であり、そこにこそ、解決のヒントがあると思っています。

私は、そういった視点を持ったことで、想いや行動が変わり、その結果、短期間で強迫がかなり改善し、生きることが楽しくなりました。

この話のように、皆さまに共通して申し上げられる部分は多いのですが、皆さまお一人お一人、改善への具体的なアプローチの仕方が違うため、それをお伝えすべく、地味に活動を続けている次第です。

 

これからも、私も皆さまと一緒に、生命力に溢れた木を育み続けていこうと思います。

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